MANMAN スペシャルインタビュー by 着火ライター 穴あきアナライザー

MANMAN スペシャルインタビュー by 着火ライター 穴あきアナライザー


穴あきアナライザー(以下 穴あき):Tまず、「MANMAN/MANMAN」シングル CD発売おめでとうございます!! 

MANMAN:有難うございます!!

穴あき:一言では語り尽くせぬ程、MANMANの魅力がぎゅっと凝縮された名盤シングルだと思いました。
志人&440の名コンビの相性の良さとMANMANは真のクラシックメーカーだなぁと改めて痛感しました。まさに名曲揃いですね。
シングルやこれからのアルバムについての話をお伺いする前に、お二人が出会った頃の話から聞いて行きたいなと思っています。

440さんと志人さんは「大隈講堂」で出会ったと言う話がありますが、どのような経緯で、そして、お二人のお互いのファーストインプレッションは如何でしたでしょうか?

大隈講堂前

——志人の初期衝動/440との出会い

志人:早稲田大学に”ソウルミュージック研究会GALAXY”というのがあって、そこで440さんやなのるなもないと出会いましたね。 ライムスターのJINさんやマミーDさん、SHIROさんなんかも歴代のOBとして居た場所ですね。
そのサークルでは、新一年生が人前でRAPを披露しなくてはならないという半ば強制的な行事がありまして。。
その練習の場所が大隈講堂前でした。

穴あき:ふむふむ。その独特な行事、聞いたことがあります。 
降神の1st アルバム収録曲「内外」にも”大隈講堂 雄弁会で腕立てしてるくらい辛い労働〜”と言うフレーズがありましたね。
GALAXYは歴史的な著名人や各界で現役で活躍していらっしゃる方、ライムスターをはじめ、blast編集部や旧編集長、amebreakの11zeroさんとかも所属していたとされる有名なサークルですよね。

志人:はは。 さすが穴あきさんですね。 お詳しい。
雄弁会、ありましたね。 多くは政治経済学部の政治マニアが集い、自分が国会議員になったつもりでマニフェストを下段の聴衆へ向けて叫ぶ会みたいなのでしたね。
「おい! 声が小さいぞ!」とか 「なんだそのマニフェストは 納得いくように説明してみろ!」とか先輩が後輩にヤジを飛ばすみたいな。 
その横で僕らはRAPしてましたね。 同じく、「おい!声が小さいし何言ってるかわからんぞ!」とかドヤされながら。 
今はあまりないんじゃないかな、ドヤされながらラップするって環境。。 

自分はソウルミュージックを研究するつもりもないし、ただブラックミュージックが好きで、RAPやってみたくて。 というそんな単純な動機でサークルの門を叩いた記憶があります。
自分は大学に入る以前にラップミュージックに触れていて、人前で初めてラップしたのは、マイクを使わず生声で山梨の自動車教習所の合宿で経験していました。
一緒に教習所に行ったのが、高校時代の友人で、彼らは音楽が好きで、教習所の宿舎にラジカセ持ち込んで、WU-Tang尽くしのMIXTAPE(自作)とか、KoЯnやage against machine 等のハードコア、日本のハードコアのCDからダビングした独自のミックスカセットを鳴らして過ごしていました。そんな中で、合宿は空き時間が沢山ありますので、私自身元々文章を書くのが好きだったので、RAPを見よう見まねで作ってみて、「まぁ 聴いてみてくれ。」という感じで、人前で人生初バースをキックした思い出があります。17歳〜18歳ですかね。 確か18歳の誕生日ギリギリに免許を取りに行った様な気がします。
僕以外の友人二人は結局レゲエ業界の方へ行き、SUN SET サウンドの元で切磋琢磨してましたよ。
僕も彼らの初期のサウンドクルーに入っていて、「破天荒」っていうサウンドでMCやDeeJayとしてマイクを握ったりしていました。 パトワ語とかも若干覚えたりして。。

穴あき:そんな初期衝動が!

志人:はい。  でも、私はどうしてもGALAXYのサークルにはなかなか馴染めなくて、どことなく由緒正しい研究会というか、DJを志す人も多く、バイナルの話題や、豊富な知識について行けず。。
僕は単純にRAPがしたかった。 RAPでもなんでもいいけど、マイクを握りたかった。 しかし、新入生でまだチャラチャラしてましたし、周囲からは色々な意味でだんだん煙たがられていった感じがありました。 ウッチー(なのるなもない)ともそこで出会ったんですけど、後半は二人してハブられトップハーブリーダーズって名前付けて自虐的に笑って堪えてた感じですね。

僕なんか卒業した後、誰からもOB会とかのお誘い来ないですからね。 よっさんとかなのるなもないとかは顔を出してるんじゃないかな?
まぁよっぽどやらかしたんじゃないんですか? 2年になっても 新入生に悪影響を及ぼすからって名指しで。。 半ば出禁になったんじゃないですかね。
その頃からほぼ顔を出さなくなりましたね。

一方、その頃私は、今は取り壊されましたが、政治経済学部の地下部室アンダーグラウンドにあった”レゲエスターズ”という集団? サークル?とは程遠い、ジャパニーズラスタ落第生が集う場所の方に多く顔を出していましたね。 地下部室はかなりカオスで、薄い壁を隔てた隣室は手話サークルで、またその隣は「革マル派の残党」が出入りする部屋だったり、その横でレゲエの7inchを爆音でかけていて、、。 紙巻きタバコの巻き方を先輩に教わる。 そこでは「Murder She Wrote」が流れていて、先輩達に、巻き方が「ま〜だ シロウトだな」って笑われたりね。有名なriddimですね。 同室はブラジル音楽の人も出入りしていましたね。

私がはじめにマイクを握ったのはGALAXYではなく、そのレゲエスターズのブロックパーティーでした。 戸山公園にタンテ出して、レゲエのセレクターが爆音でランチューンして、ラバダブをやる。横では流しそうめんがシュールに流れている。 そんなブロックパーティー。 そこで、人生初、マイクを握ってラバダブ/フリースタイルしましたね。 そこの部長は涙流しながら7インチをランチューンするんですよ。 「お前ら これを聴け、これで俺は人生救われたんだ コマゲン!」って。  真のレゲエ愛にやられましたね。 
その後、程なくして大隈講堂で先輩の前でRAPを披露するという機会がありました。 新入生同士でランダムにグループを組んで、私は確か、他のグループとは違い、ターンテーブリズムと生ベースというシンプルな編成が音の要素で、2MCでしたね。 他のグループは有名アーティストのオケを使用したスタイルだったと思います。 それを見た、先輩であるよっさん(440)が面白がってくれたのが記憶にあります。 非難轟々の先輩たちの中で一人だけ、「お前ら面白いじゃん!」って大隈講堂前の階段に座ったよっさんが声を掛けてくれたのが記憶にあります。 だから440さんのファーストインプレッションは、「寛容で優しい人だな。」って印象ですね。 

440:そうそう、バンド系グループはまだ珍しくて面白いなと。そのころの新入生はほとんどがRAP初体験だったと思いますが、志人とウッチーだけはもうラッパーとしてのスタイルがある程度出来上がっていたのを憶えてます。
その後学生時代は志人と遊んだりしていなく、志人の世代のイベントに顔出した時に何回か会話したくらいかなと。ただ確かに当時の彼はチャラチャラしていた(笑)のに対し、僕はバトルDJ(大会)を目指しスクラッチやビートジャグリングの技磨きにオタク化していたので、一緒にRAPグループをやったりというのは考えもしていなかったと思います。

穴あき:なるほど、そんな出会い方だったんですね。志人さんがチャラチャラしていたって想像がつかないのですがどんな具合だったのですか?

志人:はは。
降神をはじめる以前は普通にいわゆるb−boyの格好とかしてましたね。 オーバーサイズの服着て、一応服屋にも行って服買ったり。。 今では服屋、、行かなくなりましたねぇ。。クラブ文化にもどっぷり浸かりましたし、内ポケットに無頼派やトリスウイスキーを忍ばせてエントランスをくぐり、柱の陰で隠れて飲んで。。一度もバーカウンター来ないけど人一倍酔ってる奴がいるみたいな。 それからアジア放浪やアメリカで荷物全部盗まれて、、(前回のTerraVerdeインタビュー記事に書きましたが。) 物欲がなくなっちゃいましたね。もともとオシャレじゃないし、自分に合う服なんて持ってなかったんだなぁってその時に気付きましたよ。 その後はどんどん酒は避けといて煙に撒けって雰囲気になり。だんだん集団から離れて行った感じですね。

穴あき:なるほど。
それから降神結成に至るまでのお話を伺いたい所なんですが、それは降神でなんらかのアクションが起きた時にとっておきましょうか? なのるなもないさんも交えて話したいですねぇ〜。 濃ゆい話が聞けそうですな。

志人:よっさんは早稲田じゃなくて、武蔵大で、なのるなもないと同じだったんですよね。

440:しかも学部も一緒。galaxyは他大生も入れたので、早稲田生と他大が半々位だったかな。

志人:降神についてちょっと触れておくと、降神は結成っていう仰々しいものではなくて、今度ライブ出来る機会があるから、どうせならしっかり練習ってものをやってみようぜって感じで始まっていった気がする。武蔵大の軽音楽部の鍵を拝借して、タンテ担いで、朝までよっさんとなのるなもないと音を鳴らして遊ぶ。 楽しかったなぁ。なのるなもないは既に僕なんかより現場でキャリアを積んでいて、マイクさばきやステージの立ち振る舞いなんかも勉強になりましたね。純粋にかっこいいな!って。 でも僕はどうしても格好良くはできないなって。 それよりも裸になる方が好きで、 精神的にね、裸。 降神の初ライブの時も変な丸グラサンかけて覆面スタイルで危なっかしい感じで飛び込んでいった思い出がありますよ。当時、なのるなもないとの間で「タイマーズ」流行ってたしね。 放送コードぶっつちぎるスタイルでお互いのRAPにヒヤヒヤしながらもニタニタするみたいな。

440: 先ほど話したようにウッチーと僕は大学が一緒で、しかもウッチーが大学の目の前に住んでいたので、よく彼の家へ授業終わりに(たまに授業にも出ずに・・)遊びに行っていたんですよ。
その時志人も来ているときがあって、一緒に遊ぶようになったのが、仲良くなった始まりかな。
それから僕が最初で最後の主催イベントを渋谷ファミリーで開くことになって、その時に志人とウッチーに一緒にライブやらないかと持ち掛けたのが降神の始まりだったと思いますよ。
イベントは確かサッカーワールドカップの決勝の日で集客大変だったけど、、、(汗
ただ、そのころの僕にとってはライブDJがとても新鮮で、二人と練習というか遊びで一緒に音出してやっているのが、とても楽しかった!!

志人:語り尽くせないけど、とにかく思いっきり遊んでたね。 その遊びの延長線上がMANMANかな。 基本、遊びから全ては始まっているんだけど、それも度がすぎると真剣になっていってしまうという、、。振り返るとちょっと滑稽だけど、だんだんと表現が研ぎ澄まされてゆくという部分では、互いに切磋琢磨し合える相手が居たのは有難いことですね。

——MANMAN観

穴あき:話がMANMANに戻ってきた所で、お二人にとってMANMANとはどのような存在なのでしょうか? MANMAN観を聞いてみたいです。

志人:遊び心や子供心を忘れないで夢中になれる夢幻のテーマパークみたいな感じかな。 ほら、子供だからって許されてしまう部分あるじゃない。大人になって社会に出たらそうも行かない部分。 それでも子供の視点が一番鋭かったりする。やってはいけないこと、世の中の道理だったり、世間体、そんなのに見事反してしまっても、永遠に見続けられる夢はきっと誰にも邪魔出来ないよね。っていうある意味の開き直りが大切なことを自分でもMANMANから憶えると言いましょうか。止まっちゃっているんだよね精神年齢が。 老けて行かない。 そんな存在でもあるかなMANMANは。 

440:まずMANMANの構想自体は10年前くらいから話していて、やっとMANMANが世に出る機会を得られとても嬉しく思っています。MANMANは基本温かいイメージを大切にしていて、幅広い世代の方々に聞いてもらいたいです。実際にMANMANの曲は春夏にしか作っていなかったんですよ。冬に作ると冷たい感じになってしまうのではと思って(笑)。志人の言うように大人になって忘れがちな童心を大切に、MANMANはのびのびと自分を表現できる場所でとても居心地良いです。

志人:逆に僕は冬に制作するのが好きで、あったかい曲調の曲でもあの暑かった夏に思いを馳せながら極寒中、薪を焚べて火を見つめながら詩を書くのが好きかな。確かにMANMANのlost mind以外の2曲は春から初夏にかけて制作したかな? 気付いたら何年も月日が経ってしまいましたが。ずっと見続けてきた。

穴あき: 社会に出るとどうしても人の振り見て…と言いますか、同化していってしまう自分も居ますね。MANMANの楽曲からは確かに少年が歌っているような雰囲気が漂っていますね。未だ色々なことの分別がつく以前の少年のうたの様な。だからこそ「大人達は忘れかけている青春を誤魔化しているよ」というフレーズが刺さるのかもしれません。
440さんのDJingやとトラックメイキングについてなど詳しく伺いたいのですが、440さんは、バトルDJとしても大会に出られていた御経験があると思うのですが、自身がDJをはじめたのはいつ頃で、どんなきっかけだったのでしょうか?

——440の初期衝動/BATTLE/MIXCD

440:もともと中高生のころDISCO世代の姉の影響もありZOOが出ていたDADAってテレビ番組が大好きでビデオに録画し何回も見ていました。
Groovin’ Scene DADA
それでダンスミュージック(中でもHIPHOP)が好きになって、高校生のころからレコードを集めるようになりました。ちょうど1995年くらいにDJブームが起きたのもあり、レコード集めだけでなくDJもしたくなった僕は選曲よりスクラッチや2枚使いに夢中になっていきました。 それからDJ BATTLE(大会)の存在を知り2000年だったと思いますが、初めてDMC関東予選に出場したのがバトルDJとしての始まりです。

穴あき:バトルに出てみようと思ったのはどういった経緯ですか?又、当時のDJバトルシーンで自身のスタイルで影響を受けていたDJは居ますか?

440:バトルに出ているDJ友達は全くいなかったのですが、なんとなくDMC関東予選のビデオテープ審査にテープを送ったら合格してしまって、、
まあ、その時に初めてバトルDJ友達ができて彼らと遊ぶようになり更にどっぷり浸かっていきましたね。影響を受けたDJは月並みですがDJクレイズ、A-TRAKあたりかなと。DJバトルのスタイルとしては、スキルで押すより全体の構成を大事にしていたと思います。スキル無かったので、、、

穴あき: いやいや、440さん独特のスクラッチカッコイイですよ! 降神の1stでも聴けますよね。440さんは今までに色々なMIX CDも出されてきたと思うのですが、一般的に流通されたものは、遊び心に富んだ衝撃のイントロから始まる”Check this killer” やBボーイの国歌として親しまれ続けている”APACHE”使い怒涛の62曲”Check this killer vol.2 Apache to Apache “
“CHIKUWA MIXX”などをリリースされて、今はどれも入手困難になっていますが、他にもM研(Mix Tape 研究会)時代にも制作なさっていたMixとかって手元にありますか? あったらマニアなので見せて頂きたいな!と。 CD盤じゃなくて、TAPEもありましたよね。

440:遊び心溢れた作品が大好きで、当時はMTRを使ってHIPHOPトラックの上に動揺『サッちゃん』を乗せたコラージュ作品なんかをMIXに入れたり、RUNDMCのメガミックスをつくったりしていました。市販されたアパッチMIXも、学生時代のM研で配ったアパッチMIXが元となっていますね。その他にもいくつか和物を入れたMIXも作っているのでいつか自主制作盤となりますが、作品として出したいですね。

Check this killer : 90年代初期のHIPHOPを中心とした、作りに作りこんだMIX作品。
Check this killer vol2: ApatchネタオンリーのB-BOY必聴の教則CD
Chikuwa Mixxx : 440らしさを盛り込んだオールジャンルミックス!

 

穴あき:おお! 是非、再発希望します!

TempleATS STORE STAFF:横から済みません。 11月1日からTempleATS STOREで”Check this killer vol2″再販開始しますよ〜。
TempleATS STORE

穴あき:まじっすか。 ゲトります。

440:今聴いても色あせない名曲を多数収録していて、MIXもMTRを駆使し、楽しいと思います。是非聞いてもらいたいです!!

穴あき:440さんにとって、Djingやターンテーブリズム(バトルDJとしての)とトラックメイキングに対しての違いであったり、共通する部分ってありますか?

440:まず共通部分としてはオリジナリティを意識します。もちろん好きなアーティストはたくさんいるので影響は受けていますが、自分の色とは何だろうと常に自問しながら作っています。最近のDJはオールジャンルMIXが中心で、そこにバトルDJとしての経験を生かして2枚使いやスクラッチを織り交ぜながら自分だけのMIXを心がけています。トラックメイキングは経験も少なく難しいことができないので(笑)、自分が好きな音だけを形にし作品にしています。なので共感していただける人が一人でもいると嬉しいです!!

穴あき:制作環境についてお伺いしたいのですが、どんな機材でトラックを作っているのでしょうか?”Lost Mind”なんかはご自身が全部弾いて作ったのですか? 

440:LOST MINDは実はとても古い作品で、10年くらい前にPropellerhead / REASONを導入し始めて作った作品でした。自分で鍵盤を弾いたのでズレまくっているのですが、まあそのままで良いかと。作品にする前に久々に少し手を加えましたが、、、
『No more war』もREASONで作っています。 また昔はMPCをつかっていたのですが、NATIVE INSTRUMENTS / MASCHINEを導入してからはsampling トラックはMachineで作っています。『君と一緒』はmaschineで作りました。

穴あき:REASON独特の味ってありますよね。machineに移行されてから440さんのtrackにダイナミックさが増して、より本来出したかった質感になっているのかぁとアルバムの候補曲を聴いていて思いました。これはMANMANのお二人に聞きたいのですが、制作中の息抜きと言いますか、何か気分転換とかってありますか?

——No More War 制作時期のエピソード

志人:MANMANにおいて言えば、ずっと息抜きって感じだよね、よっさん。
気張って根詰めてやったという感じはなくて、
「よっさん、そろそろ真面目にやろうか。」
「うん後15分。」
「15分経ったよ。」
「うん。 後30分にしようか。」
「わかった。」 zzzzz
という会話を何度交わしたかという感じです。

穴あき:爆笑

440:(笑)
たとえば『No more war』は志人が僕の家に3~4泊寝泊まりして作り始めましたが、ゲームしたり、志人がリリック書いている間に寝ちゃったりして全然作業が進みませんでしたね、、今思うと申し訳なったです、、、僕の作成期間中の裏テーマで当時少し痩せ気味だった志人を太らせようと計画して、彼が眠っている寝顔の横にグミを置いてたりしてました(笑)朝になるとグミが空になっていましたが(笑)その頃から彼を志太(シブット)くんと呼ぶようになりました(爆)

志人:ちょうど「心にいつも平和を抱いて〜No More War〜」を制作していた時は、まさに440さんに餌を与えられて肥えましたね。こっちが寝ているのに口に かりんとうとか運んできましたからね。「未だ食べられるしょ。」って。ちょっと心に平和を抱きすぎていましたね。そんな中でいきなりサビが降ってきて、さぁ録ろうよ!という時に限って440さんは日本対どこやら戦のサッカーに夢中。。みたいな。詩が生まれてくると夢中になってしまうので、それで、3日間くらい440さんの家泊まって詩を描いたりしましたね。440さん仕事いってらっしゃい!って見送って、他人の家で留守番しながらずっと詩を描いてるっていう迷惑な奴でしたよ。
でもその時間がなかったら曲は完成しなかったな。 ボーカルもよっさん家で近所迷惑そっちのけで録ったんだよね。荒々しい宅録をYAMAANの凄耳と優しさで後世に残る作品にしてくれた。 YAMAANには本当に感謝感激雨霰だね。 

440:そうだね。YAMAANのミックス、マスタリングも大変だったろうね。基本僕は細かい調整まではしないので。。。ミックスはプロに任せています!

穴あき:爆笑。
そんな日々から生まれた曲なのですね。 感慨深いし、ちょっと笑ってしまいますね。その頃からお二人の中で「MANMAN」という謎の響きを持った合言葉が生まれたんですか?

——MANMAN = ”永遠青年BOY”&”絶対変態先輩” !?

志人:そうですね。MANMANていうローマ字表記っていうよりは、どちらかというと「まんまん」って感じでしたけどね。電話越しでも「まんまん」。よっさんの家の扉開けても「まんまん」。って感じでしたね。よっさんの家の扉開けたら あの変な眼鏡かけた440さんが現れて 「よ〜 シビちゃん まんまん〜」って。はじめは 志人と名乗るのも止めて、MANMANでは ”永遠青年BOY”とか 440さんは ”絶対変態先輩”って名前にしようかという話も出てたんだけどね。

穴あき:”永遠青年BOY”に”絶対変態先輩”ってヤバすぎますね。 個人的にはそれでいって欲しい感じはあります。

440:絶対やめてほしい、、

志人:でも”Lost Mind”とか、その名前で出したら曲自体が幻滅するよね。

——「Lost Mind」

穴あき:”Lost Mind”の話題が出てきたので、この曲について伺いたいのですが、「亡くした友への想いを〜」というフレーズが印象的ですけど、やはりそういった方へのレクイエム(鎮魂曲)なのでしょうか?

志人: それもありますね。 共通の友人で早くにこの世を去ってしまった人も居たし、その方の機材を440さんが引き取った経緯もあったと思います。 けれど、この曲は、特定の故人を偲ぶ曲と言うよりは、自分の中で亡くしてしまった夢の中で生きていた自身をもう一度”オーエス オーエス oh hisse oh hisse”と手繰り寄せて、再び蘇らせる糸電話をイメージしています。 全体的に遺失感、忘却の彼方感はトラックからイメージしていたので、そうした音の印象を聴いて詩を描いていますね。この曲が多分、一番古いんですよ。 そうですよね よっさん?

440:うん、さっきも言いましたが10年ほど前にREASONを導入して初めて作った曲なので、一番古いね。LOST MINDだけは僕のデモトラック名そのままを作品名にしているのですよ。
ちょうどLOSTMINDを作っていたころ僕も体調を崩し始めていて、先行きが曇ってきていたのでこのような曲名(仮)になりました。でもここから体調も回復し前向きな曲を作り始めたのがMANMANのほかの曲なので、志人のリリックもLOSTMINDから次の明るい曲調へと繋げる橋渡しとなり良かったです。

志人:僕もlost mindのボーカル録音時は体調が思わしくなく、唯一の救いが録音したり詩を描いている時間だったから心の支えでもあったよ。そんな体調を崩されていた440さんが、音楽制作にだんだんと復帰してきたよと連絡があり、メールを開いたらドバッと名曲が沢山送られてきて、その中に「君と一緒」や「lost mind」の新しいバージョンが入っていて。もう夢中になって聴いたよね。 それで、まずは遂げずじまいであったこの2曲から始めた。

穴あき:お体お大事にしてくださいね。 私自身、”Lost Mind”では志人さんのうたの真髄を、そして真骨頂、裏声にヴォーカルに今までに感じたことのないポテンシャルを憶えました。志人さんは野太い声から、sun de shineのような裏声まで、まるで声が楽器のように自由に表現できる人ですよね。僕は結構裏声の志人さんやいたずらっぽい声の志人さんのスタイル好きなので、未だこの声域を出すんだなって、懐かしい驚きもありました。
そして、”Lost Mind”の440さんの際限の無い壮大なトラック、胸が締め付けられるような展開、美しかったです。 どことなく、僕自身が昔、ジャンルの垣根なくテクノミュージックを貪り聴いていた時の初期衝動にも近い感覚を呼び起こしてもらいました。 

志人:有難うございます。MANMANではいたずらっぽさと、純粋さを出したいなと思ってますね。440さんの曲からはそういった自分が引き出されますね。音を作る人でこんなにも引き出される要素が変わってくるんだなと自分でも面白いです。
この”Lost Mind”は本当はMANMAN本来のスタイルとはちょっと離れたところにあって、収録しようかどうか悩んだところもあったんです。とっても大事な曲だし、曲として世に残したいのだけど、どのMANMANの曲と抱き合わせても浮いてしまう存在感があって。。
悩みましたよね?

440:そうだね。MANMANは温かい作品集にしたかったので、LOSTMINDは曲調が合わないとも思ったね。ただ、昔からLOSTMINDを志人が気に入ってくれていて、ちょくちょく志人からメッセージが入り、『この曲最高です』とか言ってくれて、、、嬉しかったですね~。なので二人にとってはこの曲も大事な曲なのです。

志人:そうですね。 この曲だけ1曲だけで出そうか?とかって言っていたくらいですからね。でも、この「MANMAN/MANMAN」シングルは、”Lost Mind”を世に出す為に、まずは形作っていった経緯もありましたね。
僕らにとってMANMANらしい曲というのは、一曲目の「君と一緒」かな。

——「君と一緒」

穴あき:「君と一緒」はエネルギーに満ち溢れた曲ですよね。いろんな意味でぶっ飛ばされました。 「Hey!」から始まる曲なんていまだかつてなかったんじゃないですか?これぞ「MANMAN」節という感じなのでしょうか。 

志人:うん、MANMANのあったかいエネルギーはこの曲の方向かな。この曲も古くて、幾度も僕の過去音源では出てきているフレーズがサビになっていますね。でもこれが本家本元のオリジナルであり、440さんとMANMANで作っていたものが大元なんです。トラックも昔のtrackからかなり化けましたね。

440:もともとはとてもシンプルなギターのワンループだったね。でもこのワンループから展開つけることができなくとても苦労していて、、、。それで一から崩して作り始めたら一気に何パターンも作れ今の原型となりました。志人のRAPも曲に負けないくらいの力強さとノスタルジックな歌心に溢れていて期待通りというか期待以上の歌を乗せて返してきたので、初めて聞いたときは鳥肌立ちましたよ。

穴あき:Dub的な要素や、ドラムも暴れていたり、生音っぽさもありますよね。実際生ドラムでこの打ち込みを再現しようと思うと難しいかも。打ち込みならではですが、声ネタと相まって土臭い感じがなんとも言えない臨場感あるサウンドになっているなと思いました。私は少し「MANMAN」のアルバム候補曲のtrackを拝聴させて頂いているのですが、他のTempleATSのトラックメーカーでは醸し出さない、440さん独特のtrackメイキング、MANMAN独特のtrackチョイスに驚きました。そして、それに乗っかる志人は近年聴いたことが無い程生き生きとして楽しそうなのが印象的でした。
「MANMAN」のアルバムについて最後にお伺いしたいのですが、志人さん、440さんはどんなアルバムになれば良いかなと思いますか? 

——「MANMAN」のアルバムについて

志人:そうですねぇ。 みんなの心に「MANMAN」が生き続けられるような。人生のいろいろな場面でふと「MANMAN」を思い出すような。あるいは忘れかけていた「MANMAN」が芽生えるような。そんなアルバムになれたらと思いますね。
音楽はいつまでにやらなくちゃ とかせかされるものでも無いし、 夢も見終わらなくてはいけないってものでも無い。それでも 見続けることの勇気と 歩み続けることの大切さ
人生の中でとっても大切にしたいひとときを音を楽しむ時なのだとしたら それが「MANMAN」になりますね。 私にとっては。

440:「MANMAN」のアルバムは流行とかではなく、10年後、20年後 おじいちゃんになっても聞くことができるそんなアルバムにしたいです。 そして老若男女幅広い層の方々が「MANMAN」を聞いて、懐かしく思ったり、気持ちを奮い立たせたり、誰かを愛おしく思ったり、 色々感じて欲しい。一人でも多くの方に「MANMAN」が届くことを祈っています。

穴あき:有難うございました!! MANMANのお二人からとっても興味深いお話を聞くことが出来たのではないでしょうか? いや〜まだまだ掘り下げてくれって声もしそうなので、それは「MANMAN」のアルバムを楽しみにしながら、次回インタビューで更に魅力に迫りたいと思います!これからのANATATOMEでは皆様からの質問も受け付けて行きたいなと思います。
それでは コングラッツ!MANMAN! Enjoy! MANMAN!