TerraVerde alias sibitt special interview

TerraVerde alias sibitt special interview

全編英詩の壮大な物語 “FATWOOD” を完成させたTerraVerde alias sibittへのスペシャルインタビュー
果たして”TerraVerde”とは何者なのか? その真相と生みの親である志人の胸の内に迫ります。
今回は作品レビュー等で御馴染みのライター穴あきアナライザーと志人の海外進出のきっかけを作ったレーベルGranma Music Entertainmentのお二方を招き、”TerraVerde”ロングインタビューを試みました。

 


 

穴あきアナライザー(以下 穴あき):TerraVerdeさん と申しましょうか、志人さんと申しましょうか? ”FATWOOD” 完成おめでとうございます。

Granma Music Entertainment (以下 G):おめでとうございます!

TerraVerde alias sibitt(以下 T):ARIGATOUGOZAIMSU

穴あき:今作は志人さんの表現活動の中ではじめての全編英詩の楽曲群で構成されていると聞いて、私は驚きを隠せなかったのですが、

G:我々も驚きました。過去の海外のアーティストとの制作でもやらなかった事なので今後もその方向には行かないと思っていました。

穴あき:いったい何があったのか? 日本語表現の極みまで探求していると思われる志人が何故に他言語での表現に挑んだのか?
まずはそれについてお伺いしたいのですが。

T:まず、例えば日本人ではない海外の方と他言語を使用して会話する時に使う”脳”が通常の母国語を話している時の”脳”と違うのはわかりますでしょうか?
特にご自身がバイリンガルやネイティブスピーカーでないとしたら。

穴あき:ええ。 わかります。 
脳でまず母国語で何を言いたいか考えて、知っているだけの単語やら熟語を脳内で他言語で組み立てて、発言するという、、私ならこんがらがる作業です。。

G:結果、言いたいことがあるのに上手く伝えられない事もあり。。もどかしくなる時があります。

T:そうですよね。 ”脳”よりも先に”心”があるかもしれませんが。
昨年2018年春のヨーロッパツアーを皮切りに海外の人間と連絡を取り合うことが以前よりも物凄く多くなり、 私の元を訪れたい、或いはコラボレーションをしたいという海外の人間からのメールやオファーが度々来る様になったのです。

穴あき:ほうほう。 どの様な国の人ですか?

T:カナダ/モントリオール/ケベックが特に多いですが、ドイツ、オーストリア、ロシア、イギリス、ニュージーランド、果てはインド人の方とのやり取りもありました。
それから実際、家に招き入れたのは、2018年夏にモントリオールから2名のアーティスト(発酵人間に収録されている”満月””新月”TAPEリリースの”慟哭”のトラックメーカー達)、2019年初頭にモントリオールから2名の芸術家(面白い書籍を出版している人物)、2019年春にはニュージーランドから2名の老夫婦(66歳の元中学校校長と特別支援小学校の校長先生)、 つい先週にはまたモントリオールから2名のアーティスト(ジャパンツアーをしていたjoni voidと”慟哭”でフルートで参加のEddie Wagner)が我が家に泊まりに来ました。
この一年間で、我が家を訪ねて来てくれたのは沢山の海外の方と、戸田くん(次元)となのるなもない御一家くらいしか居ませんでした。
あまり人を招き入れるのが好きではないので、度々来る外国の方にさぞ息子達は戸惑ったと思いますが、良い経験になってくれたらと。
先ほどの脳の使い方の話に戻りますが、私はそんな外国に住む彼らとのメールや電話でのやり取りが英語がメインを占めて来る様になり。(勿論彼らは日本語が全く喋れない為)
メールを打つのも英語あるいは仏語、電話や直接会話するのも英語あるいは仏語、という状況になり、脳味噌が他言語の占める割合がかなり増えていっているのに気が付きました。
そんな矢先にaoくんから頂いていたbeat集を聴いていて、はじめは日本語で描いていたのですが、なんだか違うぞ?という雰囲気になり、心の赴くまま筆を進めてみたら、英詩の方が筆が走りまして”Cardiac Pacemaker”と”MonAmie-Me We-“が出来たのです。

穴あき:なんと! 脳の中の使用言語の占める割合が日本語よりも英語が多くなっての結果、英詩の作曲に挑んだのですか?
この挑戦はご自身でも勇気のいるものだったのでは無いですか?

T:そうですね。
挑戦するにあたり怖い部分は多々ありました。
英語なんて流暢に話せないし、日本にはペラペラのバイリンガルラッパーも数多くいますしね。
私は彼らの様に滑らかで格好良く発音したり出来ませんからね。

G:bleubirdとScott Da RosとのプロジェクトTriune Godsは外国人アーティストとの共同作業でした。あのプロジェクトでは日本語詩と英語詩の織り交ざる独特な世界観が面白かったのですが、当時は英語詩での表現にはいかなかったわけですよね。

T:そうですね。Scottやbirdとのやりとりは勿論英語でしたけど、詩をあえて英語で描いてみようとは思わなかったですね。
ですが、前触れとしてはTriuneGodsの1stに収録された”Wonder`s Answer “や、2ndに収録された”JITENSHA PUNK” なんかはbirdとのマイクリレーで英語に対して英語やフランス語を混ぜたりして遊んでいた時はありますね。
そもそもonimasとかも初めは英語でのやりとりも多かった気がしますね。元々彼は日本語凄く上手だったけど。
曲作りを他国の人とする時の自分としての楽しみ方というのは、会話や彼らの発するRAPの感情の温度を音としてどう感じるか?というところにあるような気がします。
birdのバースが”Bracing Heart!”で終わっていたら、MASA(志人のbirdからの呼び名)はどう来る?って言われて、「じゃあ Crazy World かな?」って返して、「それいいね! じゃあ俺はこうだ」みたいな意味より先行してどの点で心がシンクロするかってのが面白いところだと思うんです。

G:さらに私は志人さんとの日々の会話から志人さんは言葉を音としても捉えているんだろうなと思っていますよ。聴いていて心地いいといいますか。

T:光栄です。
そして、詩は正しくなくてはいけない というものでもない気がする。 
間違った表現で人を傷つけてしまわないか と言う部分ではまだまだ勉強が足りないですけれどね。
“詩は、言語的に壊れている” ものでもあってもいいと私は思っているのです。
外国の方と対話をする時には、知っているだけの単語をつなぎ合わせて、身振り手振りでなんとか想いを伝えようとする、
その時には端的に「何を言いたいか」、「僕はどんな想いを伝えたいか」に重きを置いていて、間違ったってなんのその、
想いを伝える為には究極に物事の本質を突き詰めた結果導き出された我が人生の知る限りの辞典から引っ張り出された言葉が脳から捻り出される。 それは路上に転がった辞典を拾い上げた様な感覚です。
そして本心が伝わった時、 
振り返ればその会話は”詩”そのものだった様な気がします。
そんな挑戦と勇気をもらった人物が居ます。

——ブロークン スポークンワーズ “詩は壊れてる?”

穴あき:誰ですか?

T:トリスタン・ホンシンガーです。

穴あき:一体何者ですか? 

T:JAZZのリビングレジェンドです。
ドイツのベルリンで出会いました。 
私が内橋和久さんの演奏を聴きに行こうとベルリンのsowiesoという老舗のJAZZ箱へ足を運んだ時に出会った人物です。
トリスタンはチェロ弾きなのですが、チェロを片手に立ち上がって、支離滅裂なスポークンワーズを繰り広げるステージングをしていたのです。
彼はアメリカ合衆国のバーモント州生まれだと思うのですが、もう長くベルリンに住んでいます。
トリスタンは1949年生まれなので、御歳は70歳くらいでしょうか。
彼が目をかっと見開きながら放つスポークンワードは英語によるものでしたが、アメリカ人とは思えないほど支離滅裂な熟語なしの単語の応酬といった感じで、見事にぶっ壊れていまして、見事にぶっ飛んでいました。 
ブロークンスポークンワード。
路上を感じました。

——路上/ストリートとは

G:今回のインタビューで使われる表現に”路上”がありますが、いわゆるHIPHOPな連中が使う”ストリート”とは別のニュアンスを感じます。志人さんが考える”路上”とはどういったものでしょうか?

T:そうですね。私にとってのストリートは、一言で言うなら「永遠のバックパッカー風情」ですかね。笑
いくつになってもバックパック背負って、路上を徘徊する。それも道の落ちた言葉を拾いあげる為に。
海外に行っても観光客扱いを受けたことはほぼ無いに等しく、昨年ドイツに行ってJayRopeに逢いに行った時も、JayRopeのシェアハウスの住民の引越しを手伝ってましたからね。
たった3日間しかドイツには滞在予定は無かったけれど、普通貴重な一日をどう使うか!ってのでヤキモキするかもしれませんが、
いやいや、引越し、大変そうじゃ無いか。 ソファーを4階から階段で運ぶの? 無理でしょ? そりゃ手伝うでしょ。
引っ越していった絵描きの夫婦とは連絡先も交換しなかったし、多分、この先一生会わないかもしれないけれど、なんだかよく分からない日本人が手伝ってくれたな、あいつ何してるかな?
って。 僕も彼ら何やってるかな?って それはそれは特別な日だったと思い返すのです。

バックパックを背負っている理由、それは中身がパンパンになるとどうしたって何か捨てるじゃないですか?
じゃあ何を捨てようって。何を諦めようって。
捨てに捨て切ったら空っぽになって。 後は入ってくるしかなくなって。 それも味気なくって。
またなくなって。 
よく空っぽで重たそうなバックパックを無意味に背負っていた日々を思い出しますね。

昔、日本からサンディエゴに行った時に、空港で乗り換えの時にバックパックの盗難にあって、大好きなCDや服だったり、ぜ~んぶ失くしちゃったことがありました。
身も心も空っぽで、でも空港にはブライアンっていう友達が待っていてくれて、ウエストポーチに入れたパスポートと財布だけは残ってて、でも何も買う気が起きなかった。
翌朝ブライアンに「せめて服だけでも買えば?」と勧められて、古着屋で1ドルのTシャツとズボンを買った。
そして海岸沿いに寝ていたら、「Pick it Up!」と老夫婦が小銭を僕の寝ている周りに投げてくれた。
急いで小銭をかき集め「Thank you!」と言って、目の前のショップに入ろうとすると店員さんから「NO!」って言われましたね。 立ち入り禁止。長ヒゲのぶっ飛んだ奴は入店お断り。 
そこで再び路上を徘徊しているとOf Mexican Descent (2Mex & Xololanxinxo) のトラックメーカー”マスカリア”と出会って、今日マスタリングしたばかりだっていうCDをinstなら10ドル、ラップ入りは5ドルだって言われて。
「じゃあRAP入りで。」と答えて5ドルで購入し、結果「望~月をなくした王様」の”Music is my diary”の間に入ってくる「ランラランラララララララララ~」のサンプルをそこから拾った。
ある意味それはHIP HOP的なのかな? でも、マスカリアが何故僕に声を掛けたのか? 
それは日本人観光客だと思って声を掛けた訳ではないでしょう。 「こいつなら俺のDOPEな作品を理解できるかもな?」って人選したのかな?思違いか。笑
そのマスカリアのCD、帰国後、恵比寿にあったWENODで10枚だけ輸入されているのを発見して驚きましたね。流石WENODって思いました。

そうでした、ドイツのトリスタンの話に戻りますが、アメリカの大地を離れそんなドイツの複雑な歴史環境に揉まれて路上で辞典を拾い上げていたトリスタン。 フリージャズの”音の一部”として言語が成立するとしたら、それは流暢こそが最大の敵と言いましょうか、壊れているからこそ、心に響く音が在る。 そんな核心を彼から学びましたね。
2日間連続でsowiesoを訪ね、トリスタンは終演後酒をおごってくれたり、彼の耳元でフリースタイルして遊んだりしました。
彼は富士山の麓で” From the Broken World”という名のアルバムを渋谷毅さんや近藤等則さん達と共作しています。

Tristan Honsinger ‎– From The Broken World
“チェロと肉声を駆使し,渋谷毅と近藤等則とガップリ四つに組む。思考の限界を超越した音空間は,言葉無用の感動を呼ぶ。

浅川マキのプロデュースによる,ユニークで力強い作品だ。
— 内容(「CDジャーナル」データベースより)”

穴あき:なるほど。。 生でトリスタン氏の演奏を聴きに行きたいですね。

G:出会うべくして出会ったという感じですね。
Jazzプレイヤーのトリスタン氏の言葉の方にも惹かれたというのが志人さんらしいエピソードです。

穴あき:「流暢こそが最大の敵」「壊れているからこそ心に響く音がある」という部分に非常に惹かれました。
教科書通りの英語では味がないかもしれないですし、TerraVerdeの英詩からは、どこの国から来たのか分からないストレンジャー(異邦人)が醸し出す言い知れぬ謎めきを感じています。

T:そういう部分では、今作の英詩ももっと壊れてて良かったなと思いますね。
それには他言語の学習がもっと必要ですが、それはこれからもストリートで学ぶことになると思っています。
座学も重要ですが、やはり体験をもってして という部分が自分にはありますね。

G:TerraVerdeのプロジェクト始動にあたって話していた時にテーマとして体験とかサヴァイブなどのキーワードも出ていましたね。

T:そうですね。どうサヴァイブするか、そして体験をどう次のクリエイティブに結びつけて行くかというのが人生の指標でもありますね。
体験を体験のままで終わらせないと言いますか。 それで終わるならば映画を観る側でもいい訳で、映画を作る側へは行かないでしょ?

穴あき:“FATWOOD”の中でも際立つ、いわゆるビート物のdj ao氏作曲による英詩の作品が2曲”Cardiac Pacemaker”  “MonAmie-MeWe-“がありましたが、今回制作の上で影響を受けた海外のラッパー等は居ますか?

T:モハメド・アリ ですかね。

穴あき:ええ! モハメド・アリですか? 彼はラッパーじゃなくてボクサーですよね。

T:はい。 ボクサーの。
彼はパンチライン製造機のようなディベートが印象的ですが、非常に詩的なブロークンスポークンワードと言いますか、伝えたい想いがつんのめってインタビューワーの期待する回答以上のパンチを返してくる。 その言葉の一撃一撃が聴衆をノックアウトしてくる。
しかし強烈ながらも端的に感情を言葉に落とし込んでいる点に私は注目しました。
キング牧師やマルコムX等とも違う、狂気じみた熱量、そこに惹かれましたね。
私はどうしてもバイリンガルではないので、格好を付けた英語の表現やスラングを知らないし、自分の脳の中に無い英語を多用してもわざとらしくなってしまうでしょう。
なるべく格好を付けずに、有り体を表したかった。 
そういう意味でモハメド・アリの演説は影響を受けましたね。 

G:志人さんは昔からたくさん音楽を聴いてきたと思うんです。少し前のUSのアングラHIPHOPも詳しいですし、しかし今志人さんと接しているとそういったものとは別のモノを見ているような気がします。
興味の対象も変わってきているという事でしょうか?

T:そうですね。昔は良くアングラhiphop聴いていましたね。特にinstを聴いては、なのるなもないと何時間もフリースタイルしていましたね。 でもね、僕ら降神が最も長時間フリースタイルしたのは”Aphex tiwin”のドリルンベースの上だったんですね。 確か7時間ぐらいしてたな。
もっと長くしてたこともあるかな? 
しかし、USのアングラの真似をしようとしても面白くないでしょう。 彼らには彼らのリズムがあって。それを無理くり自分に身に付けようものなら、味気なくなってしまう。
自分のリズムを探るという点においては、Beatという概念や固執からどれだけ離れて、心音(Heart Beat)に耳をそばだてる。 それが本当の静寂の訪れなのかもしれないと思う節はあります
興味の対象としては、何故このタイミングでフクロウが訪れるのかとか、明らかに話しかけてきている鳥達や虫達がいたり、何らかのメッセージを孕んでいるように想える蝶や蛾が絶妙な場所に止まったり。
という、偶然では収まりのつかない、大いなる思違いの果てに見る夢には興味が溢れますね。地球の呼吸音とか。
後は、子供によく紙芝居を読むのが日課なのですが、その紙芝居をいかに面白く読むか、いかに子供が熱中するように読むかに熱が入りすぎるみたいな事はありますね。笑

穴あき:”FATWOOD”に登場してくる「ハイペリオンツリー」はどこかに実在する木なのでしょうか?

T:今作のメインストーリー”FATWOOD”に登場してくる「ハイペリオンツリー 」 というのは、実在する木でして、私が23歳の頃、アメリカのコミューンを転々と一人旅している時にレッドウッドの森で野宿をしていたのですが、

レッドウッド森林公園


そこはセコイヤの巨木が連なる森でして、その中で世界で一番背の高い木”ハイペリオン”の木が在ります。
これは正確な場所は公には知らされていなくて(知られてしまうと観光客が押し寄せる為)、未だ謎に包まれている木でもあります。

穴あき:志人さんが23歳頃というと、「Heaven`s恋文」を制作なさっていた頃でしょうか?
降神の「望~月をなくした王様~」に収録されている「Dreaming」では「今年21だが、、」というフレーズがありましたね。 それから2年後。。

T:そうなりますね。 「アヤワスカEP」もその頃ですね。
人生どうしようかこれから?という時期です。 バックパック一つで貧乏旅行です。
この時の旅の風景が「FATWOOD」製作時の原風景だったような気がします。 
フンボルトベイ/ユーリカシティー/ARCATA辺りで経験した向こう見ずな旅。 
これは行ったことがある人にしか分からないと思うのですが、あのジメッとした湿地帯の感じと廃れたヒッピーコミューンと校門付近で親指を立てて道行く車をヒッチハイクして帰宅するフンボルトの学生。
のんびりとした空一面に広がる鮮やかなオーロラにも近い原色の夕焼け。 でもどこか寂しげで。 

穴あき:「Heaven`s恋文」が発表された時にCISCOでのインタビューで一人旅をしながら制作していたという話をなさっていたのを思い出しました。

ハイペリオンツリーの木登り体験を通して主人公は色々な事を学んでいく事になるのですが、志人さんご自身は木登りなさるのですか?

T:木登りはどうやら幼稚園くらいの頃から好きだったようです。
よく幼稚園の木に登っては遠くに見える富士山を眺めるのが好きでした。
3歳くらいの頃にノコギリを祖父に握らされている写真が出てきましたね。
この木(ハイペリオンツリー)を麻縄一つで登るなんて無謀ですけどね。 
でも麻縄って本当に丈夫なんですよ。 しっかり作られたものは雨ざらしでなければ容易に腐らないし、シュロ縄より頑丈ですよ。
木こりの時は師匠にそんな無謀なことよくやらされていますけど。。
木登りの体験は今となっては数知れずですが、初めてぶり縄一つで木に登った時は手に汗かきっぱなしでしたね。
何度ももう無理だって諦めそうになったり。 
でも、木っていうのは面白いもので、心を許すと、逆に「登ってみろ」って見えない手を差し出してくれるんですよ
「嘘だろ?」って思いますでしょうが、これは本当の話です。
一度命を委ねたら、信じることが大切だと。

穴あき:なるほど! そのような経験から生まれた物語でもあるのですね。

G:生きる知恵の一つかもしれないですね。もしかして自分も木に登らなければいけないそんな局面がくるかも(笑)覚えておきます!

穴あき:今作「FATWOOD」を手掛けてみて、その後のエピソードなどあれば教えてください。

T:これも不思議な話なのですが、無謀な木登り体験の話を”FATWOOD”で綴っていたら、急に吉本の方でですが、特殊伐採の仕事が入って、木に登る仕事が舞い込んできましたね。
その依頼された木は「榎(エノキ)」だったのですが、一つの株から二股に枝分かれしていて、真ん中でくっ付いている兄弟の木だったんです。
しかも、それは依頼された御宅とその方の弟さんの家のちょうど真ん中に立っていて、その「榎(エノキ)」が境界の指標になっていました。
木の下には仏像と灯篭、周辺には銅像と木の枝には電線がかかっていました為、それらを傷つけないように伐らなくてはいけないという非常に緊張する、集中力を要す仕事でした。
人の都合で伐られてしまう木だったのですが、どうやら兄弟の仲も疎遠になってしまい。
木が影を作りすぎて邪魔になってきてしまったのが伐採依頼の要因だったみたいです。

穴あき:樹に呼ばれた感じですね。不思議なことがあるもんですね。
少しメインストーリーである”FATWOOD”についてお話を伺いたいのですが、今作はご自身でもサウンドプロデュースをなさっていますが、今まで数々のtrackメーカーや音楽家と作品を残してきておりますが、今回は何故セルフプロデュースをなさろうと思ったのですか?

T:そうですね。今まで色々な音楽家の方と一緒に曲を作ってきましたが、ほとんどが自分が深く気に入った音を採用させてもらっていて、詩やイメージが先にあり、そこに音を制作してもらうという事はあまりしてこなかったですね。
あえて言うならば、「詩種」志人×スガダイローという作品は志人が考えた物語が先にあり、スタジオに入って、一発録りでスガダイロートリオさん達と「せいの どん!」と言う感じで作った奇跡的に出来た音源でもあるのですが、そういうことが出来るのはお互いに自信が無いと出来ないものだと思います。
又、HIP HOPルーツのサンプリングミュージックや8ビートに対して私自身がそこまで興味が湧かなくなって来ていると言う部分もありました。
私自身、日常で音楽を聴く事が少なく、普段聴いている音というのは、生活音や野鳥の囁きや野生動物の唸り声、風の音に沢の音、樹々の葉がこすれあう音だったりして、それらはそれぞれのBPMで、何拍子かも付け難い、1拍子とでも言い表しましょうか?そんな地球の音です。
今作の”FATWOOD”のストーリーを描くにあったって、自身では無い他の音楽家から音を提供してもらおうと思うと、どうしても世界観が違って見えるところがありまして、それならば、この”FATWOOD”にはどんな音が合うだろうと自分で奏でてみる事にしてみたのです。
畳座敷に置いてあるアップライトピアノの上にレコーダーを置いて、演奏中の自分の呼吸している音や、ピアノのシフトペダルやダンパーペダルを踏む音、屋外の野鳥の声まで入ってしまっていますが、ピアノ演奏は全てフィールドレコーディング形式で録音しました。

穴あき:5曲目のFATWOOD THE FINAL CHAPTER – The memories in the womb 、最終章のボーカルが他とは少し違った至近距離で囁かれているような声に感じたのですが、ボーカルの録音方法も何か普段と違った方法を挑戦なさったのですか?

T:よく気が付かれましたね。 ボーカルも実は、ZOOMのハンディーレコーダーを使用していて、360°サラウンドレコーディングで録った部分があります。
KURA(土蔵を利用したレコーディングスタジオ)から野外に出て、真っ暗な森の中歩きながら喋ってみたり、竹林に向かって録ったり、カエルの合唱に紛れながらストーリーを語ってみたり、色々な環境で録ってみました。
野鳥の声が絶妙に入って来たり、その野鳥の声がきっかけで次のフレーズへ移行する流れになったり、語り終わるとそこへアオバズクが来訪してきたり。
フクロウはKURAで録音しているとしょっちゅう来ますね。 暗闇の中、うりぼう(イノシシの子供)に突進されそうになった時は慌てて中断するとか。ありましたね。

G:skype通話中にそちらにフクロウが来たってことがありましたね。

穴あき:なるほど。一般的にボーカルブースに入ってのボイスレコーディングと違う雰囲気がそこに出ていたのですね。
TerraVerdeの作曲のものはどれもBPMが存在しないといいますか、一定のリズムの元に構築されていない壮大な広がりを感じたのですが、6.曲目のピアノ演奏曲「THE LAST HEART BEAT ECHO – 最期の鼓動 -」では、Beatともつかぬ心臓の鼓動の様な音が入っていますが、あれは本物の心臓の音なのですか?

T:違います。 あの音はピアノのペダルを踏む音です。

穴あき:ええっ!そうだったんですね! ピアノのペダルの音だったとは。。
それにしても不整脈ですよね。 

T:最期の鼓動を表したかった時に、生存を保つために一瞬不整脈になる瞬間を表現したかった部分があります。
消えかけた鼓動が再度復活する瞬間を長い尺で捉えたら「THE LAST HEART BEAT ECHO – 最期の鼓動 -」の様な曲になりました。

穴あき:ということは、あれで途切れてしまう命ではなく、息をふきかえす蘇生の曲だと。

T:私はそうイメージしています。 どの様に捉えて頂いても面白いと思いますが。

穴あき:では、物語の感じ方は聴者へ委ねるとして、「I`m going home,I`m going home too. Our Mom and Dad must be waiting…」お家に帰ろう 私もお家に帰るよ 僕らのお母さんとお父さんが待っているだろうから…」
というフレーズで終わりを迎える”FATWOOD” の結末はなんだか物悲しく聴こえたのは私だけでしょうか? そこら辺、作者としては何らかの意図はあったのでしょうか? ハッピーエンドではない様なハッピーエンドの様な。。

T:そうですね。 そこはどう感じてもらっても自由だと思っている部分がありますが、 この物語自体がただの木登り体験に終始する物語ではないということは根底にあります。
ネックとしては「Cardiac Pacemaker -心臓ペースメーカー-」で 「I`m your son in your testicle 僕は貴方の精巣の中の息子だよ」というフレーズが登場すると思います。
そこと、最終章で現れる老人が若返って子供になる、その「子供」とがリンクしている部分があります。 つまりその子供が表すものは、「生まれてくることが出来なかった子供達」、或いは「自分の中で忘れ去られた冒険心溢れる子供心」という意味合いを孕んでもいるのかな?
彼らが探し続けている「TRUE HOME 本当のお家」は何処なのか? その途方もない問いかけが虚しく響き渡る。
そこに穴あきさんは物悲しさを憶えたのかも知れないですね。

穴あき:そんな意味合いがあったとは!  確かに私なんかは「Cardiac Pacemaker -心臓ペースメーカー-」に登場してくるAI(人工知能)みたいなやつにそそのかされて、スパンキンナモンキーして一日が終わってしまうなんて事も。。
ネットサーフィンして大切な時間を疎かにしてしまいがちな間に、精巣の中の子供達は「本当の家」とは何か?というUltimate question(究極の質問)を投げかけていたのかも知れませんね。。。
うむむむ。。

T:その回り道も人間らしいところでもあると思っているのですが、それを引き寄せてくれるのは見えないへその緒で繋がっている「母なる地球」の磁力(MAGNET)だと思っています。
それを如何に表現するかが、TerraVerdeの伝達/口承方法と志人での伝達/口承方法とが違う点なのかも知れません。
後はTerraVerdeならではの体験に基づいた色々な独自の哲学が箇所箇所に散りばめられていますね。
そこを拾って、楽しんでもらえれば嬉しいです。

穴あき:ほほう。面白い話が聞けました!
より”FATWOOD”を深く楽しめそうであります。

G:私はFATWOODの一連の物語から人間が本来持っているはずの生きる力のようなものを思い出すというか前向きなメッセージを感じました。是非歌詞カードにある日本語対訳にも目を通して欲しいですね。
最後にもう一つお尋ねです。このアルバムに入っている唯一の日本語詩 ”懐胎 解体”ですが、あえてこの志人/玉兎名義の曲を入れた理由はなんでしょうか?

T:日本語詩“懐胎/解体”をこのアルバムにあえて入れたのは、「FATWOOD」と関連が無さそうで、実は在るところですかね。
実は最後まで440さんとの共作「LOST MIND」という曲があるのですが、そこでも死生観が歌われていて、どっちにするか?という局面で悩んだところがあったのですが、やはり懐胎/解体”だな。という想いで落ち着いたんです。それは、aoくんとの曲を同時進行で進めていた事もあり、「へその緒」というキーワードであったり、「弔い」という部分で、繋がっていたところがありました。
生きながらにして死することとは、夢を諦めることにも近しく、本当に死することとは一体どんなことなのか? と、深く死について考えることで、生きる凄みが増す瞬間が昨今多々あるので、近年の自分の詩は「死」について描くことが多くなっているように思えます。
どうしたって我々は死にむかって生きているわけなのだけど、死を考えるあまり生きることを疎かにしてないか?と問いただす部分が自分にはあり、それが筆を動かす。

殺しますか? 活かしますか? さては如何思いますか? 

何を?

それは貴方に委ねたいと思います。
そしてこの曲を収録したのは英語とは全く異なる日本語の響きを忘れてはならないと思ったからです。

G:今年志人さんはカナダに滞在する予定がありますが、英語やフランス語を使った表現を披露する場もあるかもしれませんね。
僕らのプロジェクトT.W.Oでの制作も期待しております!

T:どうでしょうね。やはり日本語なんじゃないですかね?
私自身は英語よりもフランス語に興味があります。
ScottとKID KOALA以外は皆フランス語を話す友人ですからね。
Granma Musicさん、T.W.Oこちらこそ宜しくお願い致します。

T.W.O http://granmamusic.com/two_project

穴あき:以上、TerraVerde alias sibitt スペシャルインタビューでした。
皆さんの耳元、心へ”FATWOOD”が届いた頃でしょうか?
本Anatatome ページにて、インタビューの続投があるかも知れません。 またAnatatome pageが更新された時にはお知らせ致しますね!
またその時まで! ありがとうございました!!!